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大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)3746号 判決 1987年3月20日

原告

前田昭男

右訴訟代理人弁護士

上西裕久

被告

右代表者法務大臣

遠藤要

右指定代理人

竹中邦夫

外一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金四四五万二八〇八円及びこれに対する昭和五九年六月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、次のとおり、手形上の権利を有していた。

(一) 訴外鈴木工業株式会社(以下「訴外会社」という。)は、別紙約束手形目録記載の約束手形一通(以下「本件手形」という。)を振り出した。

(二) 本件手形の裏面には、第一裏書人訴外不二制御機器株式会社、第一被裏書人訴外猪俣欣也、第二裏書人訴外猪俣欣也、第二被裏書人原告との記載がある。

2  原告は、支払期日である昭和五八年一〇月三日に、本件手形を、支払場所である訴外同栄信用金庫(以下「訴外信用金庫」という。)品川支店に呈示した。

3  これに対し、訴外信用金庫は、「支払禁止仮処分中」の理由により、支払を拒絶した。

4  原告が右のごとく本件手形の支払を受けられなかつたのは、被告国の公務員である裁判官の左記不法行為に起因するものであり、被告国は、これにより原告が被つた損害を賠償すべきである。

(一) 福岡地方裁判所大牟田支部の裁判官甲野太郎は、昭和五八年九月二七日、訴外会社の申請に基づき、大要次のとおりの支払禁止仮処分の決定をした(以下「本件仮処分決定」という。)。

(1) 当事者

債権者 訴外会社

債務者 訴外三浦基臣(以下「訴外三浦」という。)

第三債務者 訴外信用金庫

(2) 主文

(ア) 債務者は、本件手形を支払場所に呈示して権利を行使し、又は裏書譲渡その他一切の処分をしてはならない。

(イ) 第三債務者は、本件手形に基づき支払をしてはならない。

(二) ところで、本件仮処分決定の主文第二項は、第三者に対する支払までを禁止する趣旨ではなく、債務者である訴外三浦に対する支払を禁止する趣旨でなされたものであるはずである。何故なら、本件仮処分決定のごとき決定は、元来、当該事件の当事者である債権者と債務者及び第三債務者のみを拘束するものとして発せられるはずであり、かつ本件の場合、右決定は、訴外会社が流通させないとの約束で訴外三浦に貸与していた手形を、同人が右約束に反して流通させたということを理由としてなされた申請に基づき発せられたものであるところ、右申請理由のごとき事由は、いわゆる人的抗弁といわれるものであつて、訴外三浦以外の者に対しては、なんら支払拒絶の理由となるものではないからである(もし、本件仮処分決定が第三者に対する支払までを禁止する趣旨でなされたものとすると、それは、上述したところからみて、それ自体違法なものであるといわねばならない。)。

(三) しかるところ、本件処分決定のごとき裁判は、その事件の当事者のみならず、これを基礎とした法律関係にかかわりを持つ者の権利関係にも大きな影響を及ぼすことがありうるものであるから、かかる裁判を行う裁判官としては、その裁判書を作成するに当たり、これを読む者に誤解されたり悪用されたりすることのないよう、その裁判の趣旨を出来るだけ明確に記載し、これを基礎とした法律関係にかかわりを持つ者に対し、不測の損害を与えたりすることのないようにすべき注意義務がある。

しかるところ、前記裁判官は、日頃、裁判事務に携わるものとして、こうしたことは十分承知していたが、そうでなくとも当然これを承知しておくべき立場にあつたものであり、殊に本件の場合、前記仮処分の申請理由や手形の流通性からみると、訴外三浦自身が当該手形を呈示してくることはまず考えられず、むしろ、同人以外の第三者が支払呈示してくることが十分予測されるところ、上記申請理由からみると右第三者からの支払呈示を拒絶できないことは明らかであつたこと、そして、難しい仮処分申請であるにもかかわらず代理人として弁護士がつかず、しかも支払場所が訴外会社の本店所在地である東京であるのにわざわざ債務者の住所地である大牟田まで出かけてきて仮処分申請をしていることの不自然さを考えれば、本件仮処分決定が、訴外三浦に対する支払を禁止するものであつて、同人以外の第三者に対する支払までを禁止する趣旨ではないことを明確にしておくことの重要性にたやすく気付いたはずであるから、本件仮処分決定の決定書を作成する際、前記注意義務に思いをいたし、訴外三浦に対する支払を禁止する趣旨であることを明確にするため、その主文第二項に、第三債務者は、「債務者に対し」との限定文言を加えるべきであつたし、そうすることは容易にできたはずである。

(四) しかるに、前記裁判官は、本件仮処分決定の申請を受けるや、これらの点についてなんら注意をはらうことなく、漫然と申請書に記載されたとおりの文言を使用して、「債務者に対し」との限定文言のない前記第二項の主文を記載した決定書を作成したものであり、これは、右裁判官の重大な過失であるといわざるをえない。

(五) もし、同裁判官が前記注意義務を怠らず、「債務者に対し」との限定文言を加えた決定書を作成しておれば、訴外信用金庫が前記のごとき理由で原告に対する支払を拒絶することはなかつたはずであり、そうすれば、訴外会社は、不渡処分を免れるため、本件手形を支払つたか、そうでなくとも、訴外信用金庫に異議申立預託金を預託して異議申立をして貰つたはずであり(このことは、訴外信用金庫の当座勘定元帳―甲第一七号証の一ないし八―によつて、訴外会社の昭和五八年九月、一〇月の決済状況をみてみると、本件仮処分決定の対象外の手形はいずれも決済されるか供託されていると認められることからみて、容易に推認されるところである。なお、決済当日の当座預金残高が少ないことは、右預金の性質からみてなんら異とするに足りず、右推認の妨げになるものではない。)、そうすれば、原告は、本件手形の支払を受けられたか、異議申立提供金を差し押えることによつて本件手形金相当額を回収できたはずである。

(六) しかるに、同裁判官が前記のごとき主文を記載した決定書を作成したため、原告は、訴外信用金庫により本件仮処分決定に基づき、これを理由として、本件手形金の支払を拒絶され、そのため、原告は、本件手形金を取得することができず、その後、神戸地方裁判所伊丹支部に本件手形の振出人である訴外会社と第二裏書人を被告として手形訴訟を提起し勝訴判決を受けたものの、金五四万七一九二円を回収し得たにすぎず、その後、更に訴外会社が倒産したため、原告は、本件手形金残金四四五万二八〇八円の回収が不可能となり、右金員相当額の損害を被つた。

よつて、原告は、被告国に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、本件手形金五〇〇万円から既に弁済を受けた金五四万七一九二円を控除した本件手形金残金相当額の金四四五万二八〇八円及びこれに対する不法行為の日の後で、本件訴状送達の日の翌日である昭和五九年六月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因事実1ないし3は不知。

2  同4(一)、(二)(ただし、括弧書の部分は除く。)は認める。同4(三)ないし(六)のうち、原告が神戸地方裁判所伊丹支部に手形訴訟を提起し勝訴判決を受けたことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。なお、裁判官がした争訟の裁判につき国家賠償責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもつて裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることが必要である。しかしながら、本件において、右の特別の事情は認められない。また、そもそも、本件仮処分決定には、なんらの違法もない。すなわち、、(一)仮処分決定の効力は、仮処分の当事者だけに及び、第三者には及ばないところ、本件仮処分決定の当事者としては、債権者、債務者、第三債務者が表示されているだけであつて、本件手形の第三取得者は表示されていない。(二)本件仮処分決定の主文第二項は、同第一項において債務者に対し手形金の取立等を禁止したことに対応して、第三者債務者に対して、債務者の手形金の取立てに応じてはならないことを命じるという体裁をとつたものである。(三)そもそも約束手形の支払場所としての銀行は、手形所持人との間においては第三債務者たる地位に立たず、善意取得者からの支払請求を銀行が拒否できないのは、手形法上当然の解釈であり、仮処分裁判所がこれと異なる解釈を採ることはありえない。(四)以上の理由により、本件仮処分決定の主文第二項は、第三債務者に対し、債務者に対する支払のみを禁じた趣旨のものであるので、本件仮処分決定にはなんらの違法も存在しない。

第三  証拠<省略>

理由

一付箋部分及び交換支払済印部分は成立に争いがなく、その余の部分は<証拠>によれば、請求原因事実1ないし3(原告の手形上の権利、本件手形の支払呈示と訴外信用金庫による支払拒絶)を認めることができる。

二そこで、次に、請求原因事実4(被告国の責任)についてみるに、同(一)、(二)(本件仮処分決定とその趣旨)については争いがない(ただし、(二)の括弧書の部分は除く。)。

そこで、同(三)、(四)(裁判官の注意義務とその違反)の点は暫く措き、同(五)(本件仮処分決定と原告が本件手形金の支払を受けられなかつたこととの因果関係)について検討するに、前掲甲第一号証と弁論の全趣旨に照らすと、前記裁判官が原告主張のごとく本件仮処分決定の主文第二項に「債務者に対し」との限定文言を加えた決定書を作成しておれば、訴外信用金庫が、前示支払呈示に対し、前示のごとき理由で支払拒絶をすることはなかつたであろうことは容易に推認されるところであり、その場合、訴外会社が不渡処分を免れようとすれば、他に本件手形の呈示を不適法なものとすべき事情が認められないことからして、右手形の決裁のための資金を準備するか、あるいは、訴外信用金庫に異議申立預託金を預託して異議申立てをして貰うかのいずれかの手段しかないことは、多言を要しないところと考えられる。

そして、<証拠>によれば、訴外会社は、昭和五八年九月、一〇月中に支払呈示された手形については、本件仮処分決定及びこれと同種の仮処分によつて支払を免れたと考えられるものを除き、全て、手形割引の方法で資金調達を受ける等して決済するか、手形金相当額を供託しているものと認められる。

しかしながら、そのことから、直ちに、原告主張のごとく推認することには、疑問があるといわざるをえない。すなわち、<証拠>によれば、(イ)本件手形が支払呈示された日の前日である昭和五八年一〇月二日現在の訴外会社の被告品川支店における当座預金残高は、金八万八三二七円にすぎず、本件手形が支払呈示された翌三日にも、本件手形以外の手形金支払のために金一〇〇万円の入金がなされているが、それ以上の入金はなされていないと認められること、(ロ)訴外会社の被告品川支店における昭和五八年九月及び一〇月の当座預金残高は、常に取り立てに回つてくる手形の金額を下回つており、支払当日、一旦、出金処理がなされた後に手形割引等の方法で右決済資金が入金されるという処理がなされていることが認められ、こうしたことからみると、訴外会社は、その当時、既に、同年九月ないし一〇月中に支払期日の到来する全ての手形を決済するに十分な資力ないし信用を有しなかつたために、本件仮処分決定を理由に支払を拒絶して貰い異議申立預託金を預託しないで不渡処分を免れようとしたのではないかということも十分考えられること、しかるところ、(ハ)訴外会社が同年九月及び一〇月中に決済した手形の合計額は一億四五五五万五一〇七円、一旦、交換に回つた本件仮処分決定及びこれと同種の仮処分決定がなされていたために、支払を取り消されたと推認されるものの合計額は六九七一万五六〇〇円、右取り消されたもののうち、本件手形の支払期日である同年九月三〇日以降同年一〇月末までに決済すべきものの合計額は五一六五万三六〇〇円であり、訴外会社において同年九月三〇日以降の支払手形を全て決済しようとすれば、上記現実に決済したもののほか、更に、少なくとも五一六五万三六〇〇円の資金を調達する必要があつたが、前記決済状況からみると、果たして、訴外会社にこれを調達するだけの資力ないし信用があつたか否か疑問であること、(二)したがつて、もし、前記裁判官が原告主張のごとき限定文言を加えた決定書を作成しあらかじめ、訴外三浦以外の者に対しては支払を拒絶できず、支払がない限り不渡届が出されることが明らかになつていたとしたら、果たして、訴外会社が本件手形を含めその後の手形を全て決済しようとしたかどうか、むしろ、これらの手形を全て決済するのは困難であり、早晩、不渡りを免れないものであれば、やむをえないとして本件手形の決済自体を断念したのではないかということも考えられないではないこと、以上のようなことを参酌すると、前示決済の事実があるからといつて、そのことから、直ちに、原告主張のごとく、前記裁判官が原告主張のごとき決定書を作成しておれば、原告は本件手形の支払を受けられたか、そうでなくとも異議申立提供金を差し押えることによつて本件手形金相当額を回収できたであろうと推断するのは困難であるといわざるをえない。

三そうすると、原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないというべきであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官上野茂 裁判官中路義彦 裁判官山口均)

別紙約束手形目録<省略>

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